斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社新書、2020年を読んで:スローズナヤ・クラサタだより(3)

斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社新書2020年、を読んで

 

   本書は、マルクス晩年の思想に着目し、そこに現代の気候変動危機を乗り越えるヒントがあると説いたものである。これまでマルクスについては、晩年の思索が見逃され、それ以前にみられた進歩史観、ヨーロッパ中心主義に多くの批判が向けられてきた。しかし晩年のマルクスエコロジー研究によってそれらをのりこえ新たな地点に到達していた。かつて共同体にみられた循環型の定常型経済(成長を目指さず同じような生産を繰り返す方法)を肯定的にとらえ、それをモデルとした社会構想を持つにいたっていたのである。斎藤はそれを「脱成長コミュニズム」と呼び、この方向に向かうことこそが、「人新世時代」の気候変動危機を乗り越える最善の道だと主張している。

 斎藤によれば、現在しきりに推奨されているSDGs等、資本主義を温存したまま小手先の方法をとるだけでは到底環境危機を乗り越えることはできない。たとえ「緑の経済成長」を成し遂げたとしても、それは「グローバル・サウス」に矛盾を凝縮させるものであり、公正とは言えないし、成長を目指す限りいずれ地球の限界をこえてしまう。したがって資本主義システムそのものに挑まねばならない。一方近年欧米で支持を獲得しつつある「左派加速主義」(経済成長を加速させることによりコミュニズムの実現を目指す)も経済成長を促すものである以上、受け容れることはできない。

  「低成長コミュニズム」の社会に移行するに際して、斎藤が注目するのはマルクス晩年の思想上の鍵でもあるコモンという考え方である。地球を〈コモン〉としてとらえ、人々の生活に欠かせないモノ(水、電力、農地など)を国有化ないしは市場に委ねるのでなく、協同組合などの自発的な相互扶助(アソシエーション)によって管理できるようにすべきだとするのである。ただしこれは都市の生活や技術を捨てて、ノスタルジックに「農村に帰れ」「コミュ-ンを作れ」ということを意味するのではない。あくまでも近代社会の成果を踏まえ、たとえばIT技術を駆使して協同プラットフォームを作るなどの方法で、新たな都市の合理性を生み出していく必要がある。国家に頼りすぎるのは危険だが、国家の力を拒絶するアナーキズムでは気候変動危機に対処することはできない。市民の意見を国家に反映させるプロセスの制度化が重要なのである。

  では脱成長コミュニズムへの跳躍に向けて、私たちは何をすべきか。1980年代以降、新自由主義は、社会のあらゆる関係を商品化し、相互扶助の関係性を貨幣・商品関係に置き換え、コモンを市場に飲み込んでいった。しかし新自由主義にはもう終止符を打つべきである。ブランド化に煽られ不必要なものを消費するような行動を避け、人々の基本的ニーズを満たすような生産を重視しなければならない。労働時間の短縮とワークシェアにより、生活の質の向上をはかる必要もある。さらに人々を退屈で無意味な労働に追いやる画一的な分業から解放し、利益よりもやりがいや助け合いを優先するようにしなければならない。これまで通りの生活水準の維持を諦め、日本の場合には生活レベルを1970年代後半の水準にまで下げる必要がある。

  市民の意見を国家に反映させる方法として、斎藤の念頭には主にヨーロッパで展開されている運動がモデルとしてあるようである。例えばイギリスの環境運動「絶滅への反逆」や、フランスの「黄色いベスト運動」である。また2020年6月にフランス市民議会がボルヌ環境相に提出した提案にも注目している。そこには、2025年からの飛行場の新設禁止、国内線の廃止、自動車の広告禁止、気候変動対策用の富裕税の導入等が含まれている。さらに2020年1月に気候非常事態宣言を行ったバルセロナの試みにも目を向けている。バルセロナは、新自由主義グローバル化の矛盾が噴出した街だったが、同宣言においては、飛行機の近距離路線の廃止など気候正義にかなう経済モデルが目指されているという。

   斎藤はまた先住民の知恵や、グローバル・サウスにおける抵抗運動から学ぶことも重要だとしている。そしてコミュニティや社会運動が国際的に連携を強めていることに希望を見出している(例として南アフリカの食料主権運動が、「息ができない!」をスローガンに米国のブラック・ライブズ・マター等国外の運動との連帯を訴えていることなど)。

 

   日本では近年気候変動による自然災害が頻発しているにもかかわらず、危機意識はまだ十分に高まっていない気がする。しかしこれは間違いなくボケの一種なのだろう。欧米での生活経験が長い著者が本書で展開している議論は、確実に読者を刺激しその視野を広げてくれる。

   ところで私(クラサタ)は、本書を読んで、マルクス思想の豊かさと射程の長さに改めて驚いた。読後、真っ先に思い出したのは大内秀明著『ウィリアム・モリスマルクス主義―アーツ&クラフツ運動を支えた思想』(平凡社新書、2012年)であった。大内もまたマルクス晩年の思想に、モリスを通じてであるが、現代社会変革への可能性をみている。斎藤の場合は、研究ノート等ドイツ語文献の精緻な読み込みによってマルクス晩年の思想に積極的意義を見出したのだが、大内はマルクス晩年の思想を反映したフランス語版「資本論」を消化・継承したW・モリスに注目し、モリスの説いた社会主義に期待している。日本ではこれまで、モリスを、マルクス主義の本質を理解していない心情的空想的社会主義者とみなす傾向が強かったが、モリスは晩年のマルクスが自ら手を入れたフランス語版『資本論』を熟読することによって、エンゲルスレーニン流の唯物史観から抜け出ていた。このようなモリスこそマルクスの正統な後継者として位置づけられるべきであると大内は説いている。モリスは、資本主義・商業主義が、人間の本源的な生産のための労働を流通取引の商品や利潤追求の手段とし、職人・クラフツマンから美を奪ってきたと批判、労働の喜びや生活の美しさを取り戻すことを目指して芸術的社会主義を説いた。彼の思想は友愛、協同、連帯や地域住民の自治を重視した共同体社会主義でもあった。

  大内と斎藤の主張は全く同じというわけではない。斎藤は芸術については言及していないし、大内は気候変動危機から抜け出すための脱成長を前面に打ち出してはいない。しかし両者ともマルクス晩年の思想に目を向け、そこに今後あるべき世界に至る道筋を見出しているという点では共通している。斎藤はモリスの社会主義についてはどう受けとめているのだろうか。その点について知りたいと思った。

 

   さらに社会を理想的な方向に向けていく方法として、斎藤が「おわりに」で述べていることにも注目した。斎藤は、「3・5%」の人々が非暴力的な方法で本気で立ち上がると社会が大きく変わるというハーバード大学政治学者エリカ・チェノウェスらが示した研究成果に言及している。そして大胆な抗議活動は、SNSで拡散され、選挙で数百万人の票になる、これこそが変革への道であり、未来は私たちが、3・5%のひとりとして活動に加わる決断をするかどうかにかかっていると挑発しつつ本書を結んでいる。この方法については今後改めて検討してみたい。

川端康雄『ジョージ・オーウェル:「人間らしさ」への讃歌』岩波新書、2020年を読んで : スローズナヤ・クラサタだより(2)

川端康雄『ジョージ・オーウェル:「人間らしさ」への讃歌』岩波新書、2020年を読んで

 

   ジョージ・オーウェルといえば、誰しも『1984年』を思い浮かべ、ディストピア的世界を連想する。しかし本書は、そのような狭い見方をこえ生身のオーウェルに迫ろうとしている。著者の川端は、オーウェルには怒りだけでなく独特の明るさもみられたとし、それはオーウェルが普通の人びとの持つ「ディーセンシー」(人間らしさ、まともさ)を信頼していたからだと説いている。

  オーウェル思想の核心を「ディーセンシー」に求める観点は、川端独自のものではないが、本書はディーセンシーを軸にオーウェルの多面的な生涯をバランスよくゆったりと描いていて読みやすい。それにしても「1984年」からもう37年もの時が経ったことに改めて驚かされる。オーウェルが、『1984年』刊行7か月後(1950年)に46歳という若さで亡くなったことや、『動物農場』(1945年出版)で成功するまでは売れない作家だったということにも注意を喚起させられた。

  オーウェルの本名は、エリック・アーサー・ブレア。父親が植民地の役人をしていたため、1903年にインドで生まれている。英国に帰国後、イートン校に学んだが成績が悪かったため大学には進学せず、ビルマにわたってインド帝国警察官を5年間務めた。ビルマ語も話せたという。現地人を見下す英国人に居心地の悪さを覚え、植民地主義に批判的な目を向けるようになっていった。

  インド帝国警察官を辞して帰国した後は、最底辺労働者についてルポルタージュを書くため、厳しい労働環境に身を置きどん底生活を味わっている。「下層階級は臭い」と彼らを遠ざけるよう育てられた自己の意識を変革するねらいもあったのであろう。ついでスペイン内戦には記者として赴くが、革命に心動かされ人民戦線軍に参加、瀕死の重傷を負った。スペインでの日々は、スターリン体制下の共産党ファシズムと同質の全体主義的傾向を持ちえることを彼に教えることとなった。

  さらにオーウェルは、階級を攻撃するブルジョア社会主義者の多くがプロレタリアのテーブルマナーを身につけていないことにも気づかされていく。そして高邁なドン・キホーテ的精神よりもむしろ、人間のサンチョ・パンサ的な側面に積極的意義を見出し、たとえ汚らしく愚かで低級にみえたとしても、その根源には自由の感覚があり、それが人々を全体主義イデオロギーから遠ざけていくのではないかと思うにいたる。コモン・ピープルの生活文化にディーセンシー(まともさ)をみとめ、そこに期待していくのである。パトリオティズム(郷土愛)を権力欲と結びついた攻撃的ナショナリズムから明確に区別し、パトリオティズムに根づく民衆文化に強い関心をいだき続けたのもこのことと関係がある。文化をエリートの専有物とせず万人のものとして政治・社会と関連づけて論じる彼の民衆文化論は、今日いうところのカルチュラル・スタディーズを先取りしたものとみなすこともできる。なおパトリオティズムを郷土愛に近いものだと述べたのは鶴見俊輔だったが、著者は、鶴見とオーウェルの接点や、二人の仕事の類似性についても指摘するのを忘れてはいない。

  本書のなかで、私(クラサタ)がさらに注目したのは、オーウェルが《もうひとつ書く本があるかぎり人は死なない、私にはそれがある》と述べていたことである。実際には執筆できずに死去したのだが、物書きがそういう心境になるのはわかる気がする。さらに政治的目的が欠けているとき、文章が生気のない、美文調になりがちだとしていた点についてもなるほどと考えさせられた。ガンディー評も面白く読んだ。核戦争の脅威が迫りくる環境のなかで、ガンディーの大衆的非暴力抵抗運動(サティアグラハ)を積極的に評価していたが、「来世的、反人間主義的な傾向」を持つ人間としてのガンディーには「嫌悪感」を持っていたという。サティアグラハに共鳴して、ガンディーを嫌う人はめったにいないと思うが、この人間観はいかにもオーウェルらしい。

 

注視したいミャンマーの行方 : スローズナヤ・クラサタだより(1)


注視したいミャンマーの行方

 ミャンマーで軍事クーデターが起き、軍部支配への抗議行動に参加していた市民に重傷者が出ているという。今回のクーデターによって急速にミャンマーへの関心が高まっているが、日本人の多くはまだ同国について知るところが少ない。私(クラサタ)は、昨年ごく短期間訪問しただけだが、たちまち魅了されてしまった。

 訪問前には、貧しい国なのかと思っていたが、とんでもない、鉱物資源も食料もきわめて豊富で、すっかり認識を改めさせられた。寺院や仏像のほとんどが金箔で覆われてピカピカなのも、金がふんだんに採れるからである。過去に独自の社会主義路線をとることができたのは、この豊かさに由来するものだったのだろうか。

 

寺院はどこも金ピカピカ


 観光資源にも目を見張るものが多い。数千もの仏塔が原野に林立するバガンの遺跡群、2000以上の仏塔がひしめくカックー遺跡など、何度でも訪れたくなる。ガイドさんの説明によるとバガンやカックーの仏塔は、家族のものではなく、あくまで建立した個人のものなのだという。人々の独立心も強いのだろうか。

 

バガン遺跡群

 

カックー遺跡

 大小あわせ135もの民族を抱えた多民族国家として、民族共生の観点からも注目される。一方、懸念されるのは、ロヒンギャ問題の行方である。国民の9割が仏教徒であるミャンマーにおいて、ムスリムロヒンギャは国籍も与えられず、苛酷な差別を受け続けてきた。アウンサンスーチーは、ロヒンギャ問題解決に消極的姿勢しか示さなかったとして国際的非難を浴び、ノーベル平和賞を剥奪せよという声すらあがった。だが国内的観点からみるとこの問題には一筋縄ではいかない難しさがあるようだ。スーチーは、今回の軍部独裁反対運動の象徴的存在となっているように、国内での人気はいまなおきわめて強い。国際社会はスーチーを批判するよりもまず、彼女のもとで民主主義を取り戻し、時間をかけて粘り強くロヒンギャ問題解決に向かうよう促していくのが良いのではないか。

 なおミャンマーでは民衆の間に非暴力闘争がかなり深く浸透していると思われる。米国の非暴力研究家ジーン・シャープ(Gene Sharp)は1993年にFrom Dictatorship to Democracy(邦訳 瀧口範子訳『独裁から民主主義へ』筑摩学芸文庫、2012年)を執筆し、非暴力によって独裁政権を倒す方法を世界に広く知らしめたが、実は彼がこの本を執筆したきっかけには、ミャンマー人による働きかけがあった。ベトナム戦争の体験から軍事的方法に限界を感じ、その後シャープの方法に共鳴するにいたった米国軍人のボブ・ヘルベイが、ミャンマーを訪問したときシャープの方法を教えたところ、それに感心したミャンマー人がシャープにぜひ本を書いて欲しいと依頼したのである。シャープは同書において198もの非暴力闘争の方法を具体的に示している。

 非暴力で軍部支配に立ち向かうミャンマーの人々がそれらをどう駆使して民主化路線を回復させていくか、彼らの運動を注視し見守っていきたい。