エリカ・チェノウェスの非暴力市民抵抗運動論―Erica Chenoweth, Civil Resistance :What everyone needs to know, Oxford Univ Pr., 2021等を取り上げつつ—:スローズナヤ・クラサタだより(8)

エリカ・チェノウェスの非暴力市民抵抗運動論―Erica Chenoweth, Civil Resistance:What everyone needs to know, Oxford Univ Pr., 2021等を取り上げつつ

 

  エリカ・チェノウェス(Erica Chenoweth)は、1980年生まれの米国の政治学者である。オハイオ州デイトン大学に学び、コロラド大学大学院で政治学のPhDを取得、Denver大学、Wesleyan大学を経て2018年よりHarvard 大学ケネディースクールの行政学教授兼ラドクリフ高等研究所教授に就任、非暴力市民抵抗運動を中心とした研究を進めている。

  2011年にMaria J. Stephan(米国の政治学者。米国平和研究所の非暴力行動プログラム責任者を経て、現在は米国務省の戦略立案にかかわる)との共著Why Civil Resistance Works: The Strategic Logical Nonviolent Conflictを出版(Columbia Univ. Press)、非暴力抵抗運動の方が暴力的方法よりもより効果的に社会改革をもたらすことができる、したがってこれまで国際政治学者たちがとってきた暴力偏重のアプローチは改められべきだと主張し、大きな反響を呼んだ。

  同書は、The Guardian のBook of the Year 2011に選ばれ、2012年には、米国で前年に出版された最も優れた政治学、国際関係論の書物に米国政治学界が与えるWoodrow Wilson Foundation Awardを獲得している。2013年には、公正かつ平和な世界秩序建設のために顕著な提案をした人物を顕彰するGrawemeyer Award for Ideas Improving World Orderも授与された。チェノウェス個人としても、2013年には、国際政治学・平和研究に関して、その年に最も重要な貢献をした40歳以下の研究者に与えられるKarl Deutsch Award ( International Relations)に輝き、Foreign Policy 誌は彼女を2013年の“Top 100 Global Thinkers”のひとりに選んだ。

 このように述べると非暴力研究一筋の人物だったような印象を与えるかも知れない。しかし興味深いことにチェノウェスは、研究をスタートさせた時点では、多くの政治学者と同様に、社会変革における暴力の役割を高く評価していた。テロリズム、内戦、主要な革命(ロシア革命フランス革命アルジェリア革命、アメリカ革命)を研究し、歴史の事例をみても、軍事的に劣った側が優れた側に敗北するはずだと信じていた。

 ところが2006年の夏にInternational Center on Nonviolent Conflict(ICNC)主催のワークショップに参加したことが転機となった。チェノウェスはそこで政治目的を達成するために、非武装市民抵抗が武力闘争よりも効果的な場合がある、セルビアポーランド、フィリピン、米国公民権運動等の事例のように、と説かれた文献に触れることとなった。しかしチェノウェスは、それらはおそらく例外であり、中国の天安門、1956年のハンガリー、1988年のビルマのように民衆蜂起が押しつぶされた事例もある、ガンディーの運動でさえも結局はインド・パキスタンの分離を招いたではないか、成功した事例は他の要因が作用した結果だったのではないかと考えていた。

 このようにチェノウェスは依然として非暴力闘争に懐疑的だったが、ワークショップに参加していたMaria J. Stephanから、暴力抵抗運動と非暴力抵抗運動を体系的に比較考察した研究はまだみられない、非暴力の効果を疑うのなら、大規模な比較研究を行ってみてはどうかと働きかけられた。この結果二人は、非暴力的・暴力的大衆運動がどれほど成功し、それはなぜだったかを体系的・実証的に探る共同研究を行うこととなった。2年間を費やして何千もの資料にあたりながら、1900年から2006年までの時期に政府を打倒もしくは領土的解放に成功した暴力的・非暴力的抵抗運動のうち参加者が1千人以上の323の事例のデータ(それまでにみられない膨大なデータ)を収集・分析した。その結果、非暴力抵抗運動は53%の勝利にいたったのに対し、暴力抵抗運動は26%の勝率であった。つまり非暴力抵抗運動は暴力抵抗運動の約2倍の成功(あるいは部分的成功)をおさめていたのである。しかも20世紀の多くの軍事革命が、新たな抑圧的軍事支配体制を生みがちだったのに対し、非暴力抵抗運動は民主主義体制を導くのにより効果的であることも明らかになった。

 この研究成果が、主に軍事戦略研究を扱っているInternational Security誌2008年夏)に発表され、それまで非暴力をまともに扱ってこなかった研究者たちに大きな衝撃を与えた。膨大なデータを駆使し、暴力の場合と比較して、非暴力が道義的に正しいのみならず、政治的にもより効果的だと結論づけたこの論文は、政治学・国際関係論研究における軍事力信奉の伝統に根本から挑戦する画期的な成果だった。同論文を骨格として事例研究を充実させ、アカデミックな書物として出版したのが上に述べたWhy Civil Resistance Worksであった。

 一方Civil Resistance:What everyone needs to know, Oxford Univ Pr., 2021は、チェノウェスによるはじめての単著である。市民が非暴力抵抗運動を展開するに際して知っておくべきことについて、数年間に市民から受けた質問を軸に、Q&Aの形をとりながら論を進めている。非専門用語を使ってわかり易く書かれているが、内容的には単なる箇条書きのようなものではなく、実例を含み、学問的水準を保った重みのある議論となっている。本書には、非暴力抵抗が社会変革のためのリアリスティックな方法であることを多くの人に知ってもらいたい、という著者の強い思いが貫かれている。

 以下には、同書で述べられていることのうち、とくに印象に残った点を記しておきたい。

 先ずチェノウェスがなぜ非暴力抵抗ではなく市民的抵抗(civil resistance)という言葉を著書のタイトルとして使っているかについての説明である。文中では非暴力抵抗を市民的抵抗とほぼ同義として扱っているが、nonviolentという言葉をタイトルには使用していない。その理由を、多くの人々が非暴力という言葉から、受動的、従属的、非行動、平穏さ、あきらめ等をイメージしているためだという。日本でも確かに非暴力は何もしないことであるかのような受けとめがいまでも強くみられる。しかし日本では市民的抵抗という言葉の方がわかりにくいかもしれない。それだけでは非暴力という性格がうまく伝わらないのではないかと思われる。クラサタ(私)はどう表記するのが良いかと考え、ここではcivil resistance campaignを非暴力市民抵抗運動と訳してみた。

 次にチェノウェスは、運動の原点にガンディーの活動を位置づけている。市民的不服従の元祖としては多くの場合H.D.ソローの名前があげられ、ガンディーも彼の影響を受けていた。しかしチェノウェスは、軍事的に優勢な敵に挑む大衆の運動を組織化した―しかもそれは貧困、差別、不正義等を解消するための制度確立とかかわっていた―点でガンディーこそ市民的抵抗の創始者であるとしている。ここからキング牧師、James Lawson等による活動が生まれ、さらに世界中の反植民地闘争、反人種差別闘争が展開されることとなった。理論や思想の面でもガンディーの影響は大きい。インドに赴きガンディーの方法に学んだアメリカ人哲学者・平和活動家Richard B. Greggが非暴力抵抗の最初の体系的理論書The Power of Non-Violenceを1934年に出版、米国の代表的平和思想家A.J.Muste や戦略的非暴力論研究の父とみなされているGene Sharpもこの系譜に連なっている。クラサタは改めてガンディーの重要性を認識させられた。

 さらに注目したのは、「3・5%ルール」についてである。チェノウェスは人口の3・5%以上を動員させることができれば運動は成功する可能性がきわめて高い、これまで3・5%をこえる人々を動員できた運動で失敗したものはない(ただし1962年のブルネイと2011-14年のバーレーンは例外)と述べている。彼女は、Why Civil Resistance Worksではこの点に言及していなかったが、2012年にTEDx BoulderでTalk を行った際に、「3・5%ルール」という言葉を造り出し、広く知らしめることとなった。アメリカの人口でいうと、約1100万人以上が行動するならば、成果をあげる可能性が高いということになろうか。これについてはクラサタが今年3月7日のブログで書いたように、斎藤幸平も『人新世の「資本論」』の「おわりに」で、この「3・5%ルール」に言及している。社会を理想的な方向に向かわせるためには3・5%の人々が非暴力的な方法で本気で立ち上がることが重要であり、未来は私たちがこの3・5%のひとりとして活動するかどうかにかかっていると述べていた。このようにこのルールはいまでは社会正義の実現を求めて活動する運動家をはじめ多くの人々の間で知られ使われるようになっている。圧倒的多数を動員できなくても、3・5%の人が動けば社会は変えられるというメッセージが、これからも人々を運動への積極的関与へと駆り立てていくのであろうか。

 本書の記述のなかでクラサタが最も印象深く受けとめたのは、非暴力抵抗運動が世界のいたるところでみられるようになった一方、過去10年の間に、世界各地に強権的政治体制が台頭し(例えばインド、ポーランドハンガリー、トルコ、ブラジル、タイ、フィリピン、米国、ロシア、中国等)政府の側が運動を打ち負かしている例が多くなってきているという指摘であった。デジタルな技術を駆使することによって、市民社会に制限を加える「デジタル管理体制」が生まれ、政府は政敵をプロパガンダ情報隠蔽等によって分断し、より巧みに抑圧(=smart repression)するようになっているというのである。

 チェノウェスは、これに対し近年の抵抗運動の方は、デジタル機器の活用によってより多くの人々を集めることには成功しているが、街頭でのデモンストレーションに依存しがちになっており、そのようなシンボリックな抵抗の意思表示によっては、敵対する権力のパワーを必ずしも弱めるにはいたっていないと指摘している。クラサタはこの指摘にははっとさせられた。チェノウェスは市民的抵抗には街頭でのデモンストレーション以外にも多様なものがある、さまざまな方法を巧みに組み合わせて使うのでなければ、運動は成功しない、いつでもどこにでも当てはまる方法というものがあるわけではないと強調している。権力者側も非暴力行動の理論を熱心に研究し、運動抑圧のためにより効果的な方法を考えていることを忘れてはならないだろう。

 さらに現在の運動は、リーダー不在の形態をとりがちである。そのためリーダーが協力体制を作り上げたり、戦略を練ったりすることが難しくなっているとの指摘にも注目した。これと関連して次のようにも述べている。現在の運動では統制のとれない非暴力行動が増えている。そのため統制外の場所で使用された暴力が支持者を遠ざけ、社会を分断させ、運動側の力を弱め、政権側のより強い抑圧を呼び起こしがちになっている。かつてジーン・シャープは非暴力運動ではリーダーが不在である点を戦略上の利点だとしていたが、いまやその条件は変わったといえるのかも知れない。強化された政府側に対抗するためには、以前にも増して戦略的思考を深め、運動を計画的に練り準備することが重要になっており、今後はリーダー不在をよしとするのでなく、むしろ強いリーダーシップを発揮することのできる指導者が必要になるのではないか。内部の暴力をコントロールし、敵側の忠誠心を切り崩すことができなければ、運動の成功は見込めないともチェノウェスは説く。これらの点を考慮すると、現在のミャンマービルマ)の運動はかなり厳しい状況に置かれていると言わざるを得ない。

 本書を読んでクラサタが最も考えさせられたのは、非暴力市民抵抗運動の可能性をより高めていくためには、世界情勢の急激な変化のなかで固着した考えに囚われることなく、その時々あるいはそれぞれの場所において柔軟かつ賢く戦略を練って行かねばならないということであった。これまで有効だったものが、いつまでも有効とは限らないのである。

 ひるがえって日本の非暴力研究の現状はどのようなものなのかとも考えさせられた。日本人の間には、戦後日本こそ非暴力主義を貫いてきたチャンピオンであるという自負がきわめて強い。このため他国の研究に関心を向けることはあまり多くはない。だがこれまでのように非暴力を貫いた人をただ賛美し、暴力行使に出た人を非難してそこで論を終える傾向や、憲法9条へのもたれかかり傾向に甘んじていてよいのだろうか。自負心があるがために日本における非暴力研究はかえって停滞しているとは言えないだろうか。チェノウェスの試みのように、レアルポリティークの観点を踏まえ、暴力・非暴力双方の活動を視野に入れつつ、考察をすすめていくことが重要なのではないか。そのためには暴力を道義的観点からただ切り捨てるという発想が、まず改められなければならないとクラサタは強く思った。