ガンディー思想の現代的意義:スローズナヤ・クラサタだより(10)

ガンディー思想の現代的意義

   今回は、《ガンディー思想にはどのような現代的意義があるのか》を探るため、石井一也著『身の丈の経済論―ガンディー思想とその系譜』(法政大学出版局、2014年)を取り上げる。

   本書は、ガンディーの経済思想を「身の丈の経済」(等身大の経済)と表現し、21世紀のグローバル社会に重要な示唆を与える発想であると説いている。イヴァン・イリイチが提唱した「コンヴィヴィアリティ」という概念を援用しながら叙述は進められている。ここでコンヴィヴィアリティとは、人々がそれぞれ自律的でありながら他者を尊重し、自発的な節制を働かせつつ相互に助けあう倫理を意味しており、それはガンディーが生涯にわたって追求した「真理」に通じるものだとされている。資源の枯渇・生態系の危機にさらされている地球環境、さらには将来世代を視野に入れて今後の社会構想を考えるとき、この観点はきわめて重要であると著者は説く。本書では、現在多くの人に希望を与えているインド人のアマルディア・センの見解とガンディー思想の違いについても明らかにしている。

 これまでガンディー思想は、マルクス主義者(ジャワーハルラール・ネルーを含む)からは進歩に逆行する思想として批判され、マルクス主義的ではない近代主義者(オールダス・ハクスリー、ジョージ・オーウェルラビンドラナート・タゴール等)からも、時代錯誤的との批判を受けてきた。その後、ポスト近代主義やポスト植民地主義の論者からは、将来の社会に必要な思想だと肯定的にみられるようになった。しかし著者によれば、ポスト近代主義者たちは、資本主義社会やグローバル経済には肯定的で、ガンディーによる近代文明批判や「身の丈の経済」という観点を十分に把握していない。

 ガンディーの経済思想の基本には、厳しい近代文明批判の精神がみられた。経済発展を善とする発想や暴力性を伴う近代社会を乗りこえようとしていたこと、これこそが彼の近代批判の核心であった。したがってガンディー思想のよりよい理解のためには、この核心をとらえた「もうひとつのポスト近代主義」が必要となる。その代表的な論者としては、リチャード・グレッグ、E. F. シューマッハー、ジェレミー・リフキン等をあげることができる。著者は、この観点に共鳴し、自らもそこに立って論を展開している。

 ガンディーが近代文明批判を本格的に論じはじめたのは、1907年刊の『ヒンドゥ・スワラージ』からであった。ガンディーは、近代文明の特徴を人間の精神性を軽視する物質主義にあるとみて次のように説いた。近代社会は文明の名のもとに機械を通じて際限なく物質主義を推進し、天然資源や市場をめぐる競争、国家間の支配・従属関係を生み、植民地の分割・搾取をもたらした。インドが貧困に陥ったのも機械のせいであり、マンチェスターがインドの手工業を破壊した。物質的進歩は人々を金で買うことのできる奢侈品の虜にしたが、これは真の進歩ではない。真の進歩(真の文明)は、必要物の拡大によってではなく、その慎重かつ自発的な削減によってこそもたらされるものである。

 このようにガンディーは西洋の工業国が国の内外で搾取や従属を生みだしていると強く認識していたため、インドが西洋型の発展モデルを採用して工業化することには断固反対であった。ガンディーが採用した路線は、利己心の追求を経済発展の原動力とみなすアダム・スミス以来の自由主義とも、大規模工業化を目指すマルクス主義とも異なるものであった。したがってネルーが推進した社会主義的工業化にも反対だった。

 ガンディーはスワラージ(政治的独立・自治)とスワデーシー(経済自立)の実現を目指していくが、その際に政治の基本的単位としたのは、インドに古くから伝わるパンチャーヤト(民主的な手続きで選出される村民からなる自治組織)によって運営される共同体的村落であった。ガンディーの村落論は、ネルーロマン・ロランタゴール、セン等によって国家主義的・懐古主義的思想として厳しく批判されることとなった。しかし著者によれば、ガンディーは権力の分散化を志向しており、それは排他的なナショナリスト的色彩を持つものではなかった。ガンディー思想におけるナショナリズムは、彼が「人はナショナリストとなることなくしてインターナショナリストとなることは不可能である」と述べているように、インターナショナリズムの前提としてのナショナリズムであった。

 ガンディーの経済思想を支えた二本柱はチャルカー運動と受託者制度理論であった。チャルカー運動はインド古来のチャルカー(手紡ぎ車)とカーディ―(手織綿布)を復活させ、糸紡ぎを含む織物作りの工程のすべてを手作業にすることによってインドの人々に労働のチャンスを広く提供し、貧者を救済しようとしたものであった。この運動の経済的評価は研究者たちの間で別れているが、これは地方の人々を結びつけ「インド民族」の概念を醸成するために役立ったとされている。この運動の関連施設はしばしば弾圧を受け、運動も後退を余儀なくされてしまった。しかし強力な商人資本の進出にもかかわらず、その支配下に組み込まれなかった在来の職工が多数いた事実に、この運動の一定の効果を認めることができると著者は述べる。またチャルカー運動によって得た富が少なかったにせよ、それをできるだけ多くの貧者に分配しようとしたガンディーの狙いは理解されるべきだとも説いている。

 なお機械製の綿糸・綿布が、チャルカー運動の行く手をしばしば阻んだが、ガンディーは、工場を破壊・没収するといった強制的手段を最後まで採ろうとはしなかった。ここにガンディー経済思想の非暴力的本質があらわれていると著者は述べている。

 ガンディーの経済思想を支えたもうひとつの柱は受託者制度理論であった。それは富者の財産を神から信託されたものとみなし、富者が貧者のために財産を自発的に再配分するよう求めるものであった。ガンディーは英国で法律を研究していた時期(1888~91年)に「信託」(trust)の概念に出会い、その後南アフリカ滞在中に、ラスキンの思想にも学びつつ、それを宗教的観点から深めていった。受託者制度理論を本格的に展開したのは、1915年にインドに帰国して以降のことであった。ガンディーはインド民族資本家を代表する企業家(アンバーラール・サーラーバーイー、ガンシャームダース・ビルラー、ジャムナーラール・バジャージ等)とめぐり会い、彼らとの友好関係を重視し、多くの資金援助を受けていた。ガンディーは、インド民族資本家の財力と経済手腕をみずからの活動に積極的に活用しようとしていた。資金は、チャルカー運動をはじめアーシュラムの運営費用等々のプログラム推進に使われた。このような資本家たちの存在が、ガンディーの受託者制度理論の展開を支えていたが、そこには必ずしも経済思想に共鳴したわけではなく、ガンディーの個人的資質に魅せられて支援を惜しまなかった者もいたという。

 この理論は、マルクス主義の側からは体制擁護論として批判され、資本主義を擁護する側からは体制に親和的なものとみなされていた。しかしガンディーは、資本主義システムを維持しようと意図したわけではなかった。それは当時影響力を増しつつあったマルクス主義思想を意識しながら、階級闘争を回避し、近代社会の矛盾を非暴力的な方法で是正しようとした独自の階級・分配理論であり、積極的な社会改革論とみなされるべきものであった。ガンディーは、地主から土地を没収するなどの方法は非暴力の精神に反するとして採らず、あくまでも非暴力の枠内で富の再配分を目指していた。

 このようにチャルカー運動においても受託者制度理論においても、非暴力は重視され続けていた。ガンディーは共産主義者の動機には共感し敬意も抱いていたが、その暴力的手法には断固反対であった。ガンディーの経済思想は、あくまでも非暴力と道徳性に基づくものでなければならなかった。

 ガンディーは、生涯を通じて「真理」(ガンディーは神と同一視)を追求し、それを宗教的に深めていったが、「真理」に到達する道は非暴力であり愛であるべきだとされていたのである。ガンディーはインドの宗教的伝統に見出した消極的性格の「アヒンサー」(不殺生)にキリスト教のカリタス(人類愛)や非暴力といった積極的要素を融合させ、独自の「真理」形成に至った。その際、ガンディーが受容したキリスト教は、聖書に書かれたイエスの言葉ならびに、異端とされたトルストイラスキンの思想であり、西洋帝国主義とともに各地に浸透しつつあった宣教師たちによる説教でなかったのは言うまでもない。なおガンディーの倫理観には禁欲が含まれるが、それは資本主義の発達を導いたマックス・ヴェーバーの説いた禁欲とは大きく異なり、近代社会の矛盾から脱け出すためのものであった。しかもそれは自発的なものだされていた。

 ガンディー死後のガンディー主義は、独立インドにおいてはサルヴォーダヤ(すべての人の幸福を意味)運動の形で継承されていった。それは近代の資本主義や社会主義とは異なる民主主義国家としてのコンヴィヴィアルな社会のあり方を模索し、民衆を中心とする社会を築こうとしたものであった。その後の世代には、ガンディー主義を環境保護運動として継承する者もいるという。

 インドの国外では、ドイツ生まれの英国人のシューマッハーが、ガンディー思想を経済学に持ち込みスモール・イズ・ビューティフルの思想を打ち出した。彼の「中間技術」(のちの適正技術論)はすべての人に手が届く小規模の手段と設備を意味しており、これはガンディーのチャルカー思想を源流とするものであった。米国人のリフキンも1980年にチャルカーを簡潔な適正技術の一例として高く評価した。そして近代の進歩主義や科学主義が、経済的権力の集中と環境破壊や資源の枯渇をもたらしたとし、簡素な技術こそが社会の持続可能性を保障するものだと説いた。彼は、ガンディー思想をニュートンの後に必要とされる思考様式であるとすら述べている。

 終章において著者は、富裕層の必要物を大幅に削減し、身の丈の経済へと大きく舵を切る以外に、近代の矛盾を打開する方法はないと説く。スミス以来の経済学は、ほとんどが成長経済(右肩上がりの経済)によって人々の生活を支えようとしてきた。それは成長経済を支えてきた利己心、市場メカニズム自由貿易、国家主導の開発など一連の近代的価値を肯定している。センの提起しているケイパビリティ、共感、コミットメント等の概念にはガンディー思想に通じるものもみられるが、彼は依然としてグローバルな物質的繁栄によって貧困を解決しようと考えており、基本的には近代の思考の枠内にとどまっている。センの見解を、ガンディー主義の枠組みのなかに位置づけ直す必要があるのではないか。こう述べつつ著者は、今後目指すべきは縮小経済であり、近代的諸価値に対抗する方向に向かう必要があると強調し、ガンディー思想の現代的意義はまさしくこのことを示唆している点に求められると説いて本書を結んでいる。

 以上、本書の内容を紹介してきた。クラサタ(私)には未消化の部分も多いのだが、それでもガンディーの思想ならびにそれを継承する思想が、地球環境危機の叫ばれる今日において、いかに重要なものであるかについては理解を深めることが出来た。それにしてもシューマッハーやリフキンの議論を導き出すほどの力をガンディー思想がもっていたことには驚きを禁じ得ない。シューマッハーやリフキンについて、ガンディー思想の継承者という角度から改めて学びたいと思った。

 なおクラサタは迂闊にもこれまでガンディーの活動が資金的にどのように支えられていたのかについては考えたことがなかった。ガンディーのような人物の活動には資金が不要であるかのように思い込んでいたのかも知れないが、当然そのはずはない。今回、受給者制度理論について知ることができ、その点が明らかになったのは収穫だった。

 また宗教に関して、クラサタが面白いと思ったのは、ガンディーのヒンズー教キリスト教の関係についてのとらえ方であった。ガンディーはキリスト教の聖書に説かれていることのすべてはすでにヒンドゥー教にみられるとみていた。したがって善良なヒンドゥ―教徒になることは、キリスト教徒になることをも意味すると考えていたのだという。